覆面アーティスト・バンクシー本人をとらえた作品集、一部が日本で販売

英国で即完売、世界限定2万部の幻の1冊が日本で販売決定

1997年より11年の間、覆面アーティスト・バンクシー(Banksy)のマネージャーを務めていたスティーブ・ラザリデス(Steve Lazarides)が手掛けた、バンクシー(Banksy)本人をとらえた作品集『BANKSY CAPTURED』の先行予約販売が、本日4月13日から開始した。※一般販売は2020年5月15日を予定

スティーブ・ラザリデスによるバンクシー本人の写真や、未発表作品などを収録しており、謎に包まれたバンクシーの姿が写された貴重な内容となる本作。

限りなく本人公認に近い出版物と希少価値が高いものとして扱われており、今や、世界のどこでも手に入らない作品集は、世界の様々なオークションサイトでも転売が目撃され、その金額は799.99ドルの値が付けられるものもある。アートに携わる人間ならば是が非とも抑えておきたい逸品だ。

商品概要

●先行予約販売 :2020年4月13日〜2020年5月6日まで
●販 売 価 格:13,200円(税抜12,000円) ※送料無料
●一般販売開始 :2020年5月15日から
●一般販売店  :書店などで販売(公式サイトにて決定後順次アップ)
●特設サイト  :https://banksycaptured.tokyo

STEVE LAZARIDES からのコメント

「写真に収める許可、つまりバックステージパスを私が唯一持っていたのです。つい最近全ての写真を見返して、その文化的価値が見えるようになりました。数々のポートレート、ストリートで作品を描くバンクシーのルポルタージュ、スタジオで撮った作品や彼の初期の作品記録など、これらに与えられるべき露出が無かったのです。」

「90年代後半はフォトグラフィーにとって変わった時期でした。フィルムカメラの最後の時期であり、デジタル写真が始まったからです。携帯のカメラは無く、ソーシャルメディアといったプラットフォームもありませんでした。もしこれらが既に普及していたとしたら、写真をアップしてから数時間で数百万のフィードに拡散された事でしょう。この本自体存在しなかったはずです。私自身が正しい場所と時間に居れた事に感謝するばかりです。エクスクルーシブな写真をどうぞ楽しんでください。」

プレゼン

購入者の中から抽選で超貴重なバンクシーの作品「偽10ポンド紙幣」を1名様にプレゼント。

英国内に流通する10ポンド紙幣をモチーフとした作品。本来エリザベス女王の肖像が描かれているところにはウェールズ公妃ダイアナが描かれている。商品を購入し以下の条件でSNSに投稿。抽選で1名様にプレゼント。

【参加条件】
1.本購入商品とともにSNS (Instagram or Twitter)に画像を投稿。

2.投稿の際にハッシュタグを2つ付けてください。
 #banksycaptured #banksy10pounds

3.応募期間は2020年5月1日~2020年5月31日まで。

4.当選された方には2020年6月上旬にダイレクトメッセージで連絡。

【問い合わせ先】
バンクシー「偽10ポンド紙幣」キャンペーン問い合わせ
infobesta@bestsellers.co.jp

バンクシー とは

世界で一番有名なグラフィティアーティスト

1973~75年、イギリス・ブリストル近郊で誕生したとされている。
90年頃から地元でグラフィティ活動を開始。
95年頃からステンシルを用いた技法へ移行し、英米で幅広い活動を行う。
2005年、メトロポリタン美術館やMoMA、大英博物館などに勝手に侵入、
自身の作品をゲリラ展示して騒動に。

10年、初の監督映画『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』を公開。
その後もガザ地区やパレスチナ自治区ベツレヘム、世界各国にてグラフィティ
活動を継続。
18年、サザビーズでのシュレッダー事件が世界的ニュースに。
19年、作品『英国の地方議会 』(議員はチンパンジーになっている)が
サザビーズで13億円で落札された。

スティーブ・ラザリデス とは

バンクシーを有名にした男スティーブ・ラザリデスは、かつて雑誌「Sleaze Nation」のカメラマン兼フォトエディター。1997年から約11年間に渡り、バンクシーの右腕として作品の撮影や車の運転などを担当し、10,000点以上のバンクシー関連の写真を撮り続けてきた。

また、バンクシーの代理店として知られている英国のアートギャラリーのオーナー。彼は、ストリートアートの普及に貢献した最初の人物の1人として、またアンダーグラウンドアートの最新トレンドの権威として知られている。

「バンクシーとして知られていた、みすぼらしくて気分屋な男と初めて会ったのは1997年頃でした。その頃の私は、最高にエキセントリックなスティーブ・ビールによって製作および編集されていた雑誌「Sleaze Nation」のカメラマン兼フォトエディターでした。バンクシーという若いイノベーティブなグラフィティーアーティストの噂を聞きつけ、バンクシーの追跡を頼まれたのです。私たちはブリストルっ子として結束していたので、ブリストル内の連絡網を通して繋がりました。」