みなさんこんにちは。小説が大好きな小栁量子と申します。お気に入りの作品は「舟を編む」「黄色い目の魚」「もう一度生まれる」「勝手に震えてろ」「王とサーカス」などです。
さて、最近は冬の訪れを感じる季節となりましたね。瑞々しかったクヌギの葉も、甘く優雅な香りを放っていた近所の金木犀も、肌寒い風に捥ぎ取られたかのように散り落ちて、少し寂しげな風景になりましたが、私はそんなほろ苦くもほんのり甘いこの季節が大好きで、ホットコーヒー片手にLo-fiな音楽を聴きながら小説を読み、この雰囲気にどっぷり浸っている次第です。
ということで今回は、そんなビターな季節と相性抜群の小説をご紹介させていただきます。全六篇で構成された短編集なのでサクッと読みやすく、秋の夜長にもピッタリ。今年読んだ短編小説の中で一番面白いと感じた作品です。
今回オススメする小説は、マンガ化、アニメ化、実写映画化もされた米澤穂信の作品「氷菓」で知られる<古典部シリーズ>最新第六弾『いまさら翼といわれても』になります。
いまさら翼といわれても
本作は、とある地方の文武両道を謳う高校を舞台に、”癖の強い人しかいない”古典部の部員たちが、日常に起こるささいな謎を解き明かしていく青春ミステリーです。
メインの登場人物たちの過去と未来が描かれていますが、過去の作品を読んだことのない人でも違和感なく読み進めることができますし、アニメやシリーズの一作目となる「氷菓」を知っている人はサイドストーリー的にも楽しめます。
登場人物
●折木奉太郎:「やらなくていいことはやらない、やらなければならないことは手短に」を自らのモットーとする”省エネ主義”。
●千反田える:好奇心旺盛で優等生、「わたし、気になります」が口癖。
●福部聡志:多趣味で知識の量は随一、「すべてのことにこだわらないこと」にこだわる。
●井原摩耶花:なにごとにも一途にまっすぐ、聡志に何年間もの片思いを寄せる。
各話の見どころ
『箱の中の欠落』
「生徒会選挙で発生した不正票の謎を解明する」という話なのですが、この話の見どころは「人の盲点」を鮮やかな推理によって導き出していく“過程”と、事件の“背景”にあります。
奉太郎は、一見全く関係のないような物から幾つもの盲点を見つけ、真実に辿り着くのですが「トリックを暴いて犯人を推測する」という部分よりも「なぜ、この犯行に至ったか」という部分に重点を置いて描かれています。
高校生の青く複雑な心理が紐解かれていくという、青春とミステリーのハイブリッド小説でしか味わえない驚きと感動、そして絶妙なほろ苦さが存分に味わえる物語です。
『鏡には映らない』
「摩耶花が、なぜか学年中から嫌われた奉太郎の過去を探る」という話です。人から嫌われるような行動を取らないハズの奉太郎が、学年中から嫌われてもやらなければならなかったこととは。
奉太郎が「やらなくていいことは、やらない。やるべきことは手短に」を信条とする超省エネ主義者になった原因の一端を知ることもできます。
行動の真意に気付いた時、思わず戦慄が走ること間違いなし。私のクラスにもこんな人がいたら...そう思ってしまう、隠れたやさしさに注目です。
『連峰は晴れているか』
「中学時代に授業を止めてヘリに見入ってしまった先生の謎を解き明かす」という話です。当時、先生があの日授業を止めてまでヘリに見入っていたのはなぜか?奉太郎は普段の省エネ主義からは信じがたい行動力で、千反田えるとともに図書館へ向かい謎を解いていきます。
「知っても何にもならないこと」ではありながら突き詰めていく作風や、その結果ほろ苦さを読者の前に提示するところに作者の特徴を感じます。
日常のささいなことから謎を解く”これぞ日常の謎”という展開で、あえてスパッと終わらせないラストには、じんわりとした余韻が残ります。読了後、あなたの中にいつまでも残る、そんな作品となってくれます。
『わたしたちの伝説の一冊』
「”才能のあるもの”の苦悩と覚悟」を描いた話です。子供のころから漫画好きの摩耶花は漫画を”描く側”として、着実に実力をつけてきたが、所属する漫画研究部では”描きたい派”と”読むだけ派”が対立し、漫研は崩壊寸前。
書きたい派で「秘密で文集を作ろう」となったものの、文集のプロットを書いたノートが盗まれ、盗んだ相手に呼び出されるのですが、そこにいたのは意外な人物。そしてその人物からある提案を持ち掛けられます。
時期的には、同じ古典部シリーズ「クドリャフカの順番」の文化祭で摩耶花が文集を出すに至るバックストーリー。いままで少なかった摩耶花からの視点で、彼女の性格が改めて浮き彫りになります。集団VS個人。どちらに属するべきなのか。
高校生だからこそなかなか気づけない盲点に、はっとさせられること請け合いです。
『長い休日』
奉太郎が「やらなくていいことは、やらない」ようになった経緯を語る話。小学校時代は省エネ主義ではなく、むしろ頼まれごとは進んで引き受けるタイプだったという奉太郎が体験したこととは。―ぼくがやらなきゃいけないことじゃなかったら、もうやらない。絶対に―。行動の裏に隠れた繊細な心を描き出しています。
最後の回想シーンに出てくるお姉さんが、飄々としている奉太郎の不器用さや優しさの一番の理解者として重要な役割を担っています。ラブコメ要素の少ない古典部シリーズの、本作唯一のラブコメ要素。お姉さんの「きっと誰かが、あんたの休日を終わらせるはずだから」というセリフに、誰かってだれなの???と最高にもだもだする展開。
えるはお姉さんに代わる理解者となれるのか?奉太郎の”長い休日”が終わるのも、もうすぐそこかもしれません。過去が語られることで奉太郎のイメージが変化する、古典部シリーズを語るうえでキーとなる物語。
『いまさら翼といわれても』
表題作「いまさら翼といわれても」は、合唱祭の出番の前に姿を消した千反田えるの心情を描く物語。夏休み初日、千反田えるが合唱祭の出番の前にいなくなってしまったので、奉太郎は行き先を推理し、えるの元へ向かいます。「いまさら翼といわれても、困るんです」万感の思いがこもったこの言葉に胸が痛くなります。
今から自分は何者になるのかという迷い、進路関係の本、歌うはずだった歌詞――。眉目秀麗、成績優秀、地元の大地主の跡取り娘。完璧に見える千反田えるの心の内が明らかに。
殻に籠る える と、静かに寄り添う奉太郎、二人のコンビは、ずっと見ていたいくらいほほえましいです。人が入れ替わらない田舎ならではの脈々と受け継がれる伝統や、その地で生きるひとの閉塞感など、シリーズを通してのテーマを色濃く感じる一作。
まとめ
ここで一つ思い出語りです。私自身シリーズ第一作「氷菓」は高校生の時に読みました。そこから夢中になり、大学を卒業しようかという今もこうして第六弾まで出版され、初めて読んだときから長い月日が経ちました。
読み始めた当初は私も登場人物と同じ高校生の立場でしたが、今や大学も終わろうかという頃です。六年ぶりの古典部シリーズ刊行だった本作、本屋さんで題名を見つけたとき、アッと軽く叫びました。
物語の中の登場人物たちはまだ高校生。ところが、永遠に年を取らないと思っていた彼らも、六年の月日の中で着実に時を重ねていたようです。「わたしたちの最高の一冊」では摩耶花が夢を見つけて進む様子が描かれ、表題作「いまさら翼といわれても」ではえるの未来への道筋と悩みが語られます。
いかかでしたでしょうか。過去と未来が交錯する、青春ミステリ。彼らの未来と過去が描かれたことで、物語にぐっと厚みが増しました。実りと豊穣の秋に読みたい、今一押しの推理小説です。
シリーズはまだ続くとのこと。物語のなかの彼らを応援しつつ、ともに私も前進していきたいものです。それでは。