【Technoとは】テクノ・ミュージックの起源と誕生の歴史【徹底解説】

本記事では、海外メディアの記事やインタビューなどの文献をまとめて、出来るだけ裏を取りながら執筆しています。もし間違いなどがあればご指摘ください。

Techno – テクノミュージックとは

Techno(テクノ)とは、1981年にアメリカのデトロイトで誕生したダンスミュージックおよびクラブミュージックのことを指す。BPMは120〜150周辺。生音ではなくシンセサイザーやドラムマシンなどの機械音で構成され、規則的な四つ打ちが特徴。

テクノを開発したオリジネーターは、Juan Atkins(ホアン・アトキンス)Derrick May(デリック・メイ)Kevin Saunderson(ケヴィン・サンダーソン)の3名。3人ともカナダ・オンタリオ州のベルビルにある同じベルビル高校の出身なので3人合わせて「ベルビルスリー」と呼ばれる。

3人の中でもホアン・アトキンスは他の2人に様々な音楽を教え、一番最初にテクノを始めた人物とされ、デリック・メイは「テクノとはホアン・アトキンスのことだ」とインタビューで語っている。

テクノは次の4つの要素を組み合わせ出来たものだ。1つ目はクラフトワークらによって確立された電子サウンド。2つ目はファンクの宇宙的スピリット。3つ目はダンスに特化したハウス・ミュージックのサウンド・デザイン。そして最後4つ目は学者のアルビン・トフラーによって説かれたテクノロジーの可能性である。ホアン・アトキンスはこれらの要素を融合させ、未来的で宇宙的な音楽『テクノ』を創造した。

テクノはRoland TR-808TR-909TB-303といった安価なシンセサイザーやドラムマシンで制作されていた。最初期のテクノはエレクトロ・ファンクに近く、現在クラブでよくプレイされるヘヴィーなテクノが出来上がるのは1990年以降。

現在、デトロイトでリリースされた初期のテクノおよび、彼らのサウンドデザインを受け継ぐデトロイト産のテクノは「デトロイト・テクノ」と呼ばれるサブジャンルにカテゴライズされている。

最初期のテクノ・ミュージック

現在のテクノ・ミュージック

https://open.spotify.com/playlist/2GUTeQrSIBakMA9MINJhTG?si=8a5b67a462464f15
https://open.spotify.com/playlist/0U7s8TOnFRP6POd1FwdJpK?si=d02969dae0724cee

名前の由来

「テクノ」の名付け親はホアン・アトキンスだ。由来は、アメリカの作家/社会学者である Alvin Toffler(アルビン・トフラー)が、世の中で起こる技術革新の波について言及した著書『第三の波』で登場する「テクノ・レベルス(Techno-rebels)」という造語から命名されている。

テクノのサブジャンル

  • デトロイト・テクノ
  • ミニマル・テクノ
  • ディープ・テクノ
  • ハード・テクノ
  • ダブ・テクノ
  • アンビエント・テクノ
  • アシッド・テクノ
  • スロー・テクノ
  • シュランツ
    など

テクノの開発者:ベルビルスリー

Juan Atkins(ホアン・アトキンス)

「テクノ」の名付け親。Cybotron、Model 500、Infinitiなどの名義で活動し、テクノ文化の礎を築いた人物。

3人の中で最も年上だったホアン・アトキンスは1962年9月12日にミシガン州デトロイトで生まれ、コンサートプロモーターの父の影響からファンクを聴いて育ち、少年時代にはガレージロックバンドを組み、ギターとベースを嗜む音楽少年だった。

中学校に入る前に両親が離婚。それを機にミシガン州ベルビルへと引越す。そして中学生のころにケビン・サンダーソンとデリック・メイに出会う。15歳で最初のシンセサイザー KORG MS-10 を購入。(※アメリカでは大体14歳で高校1年生)

Kevin Saunderson(ケビン・サンダーソン)

Inner City、Tronik House、Reese Project、Essaray、E-Dancer、といったバンドを軸に活動。インナー・シティの楽曲 “Good Life” は、ベルビルスリーの中で最も早く商業的な成功を収め、世界中へテクノの存在を知らしめた人物

ホアンより2つ年下のケビン・サンダーソンは1964年9月5日生まれ。9歳までニューヨーク・ブルックリンで過ごしたあと、ミシガン州ベルビルへ引越し、14歳のころにベルビル高校でホアン・アトキンスからデリック・メイを紹介される。

出会った当時、ケビン・サンダーソンはデリック・メイのことを “気性が荒く口も悪い” という理由で良い印象を持っていなかったが、ある日、デリック・メイと賭けをして勝利したケビン・サンダーソンは、負け分のお金を支払わなかったデリック・メイに激怒し喧嘩に発展。それをきっかけに2人は仲良しになったとされている。

DJとしての活動も人気が高く、現在も精力的に活動している。

Derrick May(デリック・メイ)

X-Ray、Rhythim is Rhythimといった名義で活動し、ベースラインが無くキックが効いた現在のテクノの特徴となる作品を最初に制作した人物とされる。

3人の中で一番年下のデリック・メイは、1963年4月6日、ミシガン州デトロイトでシングルマザーの母から生まれた一人っ子。14歳のころベルビル高校でホアン・アトキンスからケビン・サンダーソンを紹介される。

デリックが卒業を控えていた時期、母がシカゴに引っ越すことになるが、デリックは学校を卒業するために親元を離れ、ホアンとホアンの祖母が住んでいる場所に移り住む。彼らは一つ屋根の下、音楽について毎晩語り合って過ごしたという。

1990年からは楽曲制作よりもDJ活動に専念し、驚異的なDJスキルでスターダムへとのし上がった。2020年9月には数人の女性から性的暴行をされたとして告発される。これによりメイをブッキングしていたフェスやイベントが出演予定をキャンセルする事態となった(デリック・メイは事実を否認している)。

テクノ誕生の歴史

一般的にテクノが誕生した場所はデトロイトと言われているが、より具体的にはホアン・アトキンス、ケビン・サンダーソン、デリック・メイら「ベルビルスリー」が通っていたミシガン州ウェイン郡の人口約3,300人しかいない田舎町ベルビルにある学校Belleville Schoolから始まった。 

1978年頃にホアンを通してお互い友人になったベルビルスリーは、ホアンからDJを教わり、自作したミックステープを交換し合ったりと充実した音楽ライフを満喫していた。

そんな当時、音楽情報の収集手段として最も人気だったのはラジオであり、その中でベルビルスリーをはじめ、デトロイトの音楽好きから熱狂的な支持を得ていたラジオDJが居た。The Electrifying Mojo(エレクトリファイング・モジョ:以下Mojo)だ。

このMojoという人物は、ラジオ番組でさえも人種別でチャンネル分けをされるような差別社会だった1977年に、デトロイトのFM放送で黒人向けラジオ局『WGPR』のDJとして、人種やジャンルなどの型にはまらない音楽を選曲し、人種間の壁をブチ壊して人気を博した人物だ。

ホアン・アトキンスはMojoについてこう語っている。「当時のMojoはアンダーグラウンド・カルトヒーローだった」と。ラジオでは、ファンカデリック、デヴィッド・ボウイ、ジョルジオ・モロダー、ゲイリー・ニューマン、クラフトワーク、マイケル・ジャクソン、プリンス、B-52’sなどが選曲され、無名のアーティストであろうが斬新な音楽であろうが、とにかく曲が良ければ何でもかけていた。(余談だが、Mojoは大衆受けするA面のヒットトラックよりも玄人が好むB面を多くかけていたそうだ。)

1980年にもなるとMojoの人気はまさにカルト的なものになっており、彼の流す曲は絶大な宣伝効果を持つようになっていた。

1980年 – テクノの兆候

ここまで散々ベルビルスリーの話をしたが、一部の人はデトロイト・テクノ史上初の作品として、1980年に発表されたスターリング・ジョーンズ、 ポール・レスレイによるユニット A Number of Names(ア・ナンバー・オブ・ネイムス) の “Sharevari” を挙げる場合があるので紹介しておく。(正式リリースは1981年)

本作 A Number of Names は、厳密に言うと「テクノ・ミュージック」ではないが、Mojoにデモテープを渡したことで彼のラジオ番組でヘビーローテーションされるようになり、これまでにない新しい音楽として脚光を浴び、現在では度々デトロイト・テクノ・クラシックとして紹介されている。

曲名はデトロイトのクラブ Charivari が由来となっているが、同じ名前のアパレルメーカーが存在していたので、スペルを変更して著作権的に問題の無い曲名 Sharevari になったと言われている。

ちなみに A Number of Names についてはテクノ史ではあまり語られていない。それは彼らが “Sharevari” 以降に作品を出さなかったこともあるが、一番はベルビルスリーの想い描いた未来的で宇宙的な音楽に当てはまらなかったからではないだろうか。

そんな Sharevari がリリースされた頃、ベルビルスリーはパーティーやクラブで音楽を発表するための集団『ディープスペース・サウンドワークス』を発足し、音楽制作を開始していた。

1981年 – テクノ・ミュージックの誕生

そんな『ディープスペース・サウンドワークス』から1981年、ホアン・アトキンスとRichard ‘3070’ Davis(リチャード・デイビス)のユニット である Cybotron(サイボトロン)の楽曲 “Alleys of Your Mind” が完成。テクノ誕生の瞬間である。

サイボトロンの片割れである Richard Davis(リチャード・デイビス) は、1950年代にデトロイトの東側にある電気すら通っていない貧困街であるブラックボトム地区(現在は取り壊されている)で育ち、ベトナム戦争に出兵していたアフリカ系アメリカ人である。

戦争から帰ってきた後は富田功やピンク・フロイドといったアーティストを聴き、1976年にシンセサイザー ARP Axxe を購入すると、1978年に“Methane Sea.” という楽曲を完成させ、Electrifying Mojoに売り込んだ結果、WGPR-FMのテーマとして採用された。

その後、デトロイトの殺伐とした雰囲気から離れるためにミシガン州南東部に位置するアナーバーへ引っ越し、ウォッシュテナウコミュニティカレッジ(WCC)の音楽クラスでホアン・アトキンスと出会い意気投合。すぐにサイボトロンを結成した。1981年に “Alleys of Your Mind” を完成させ、兵士時代に稼いだお金を使い7インチレコードを制作。ディープスペースからリリースを果たした。

1983年、カリフォルニア州バークレーを拠点とするファンタジーレーベルと契約し、デビューアルバム「Enter」を発表。1985年にダンスミュージックをやりたいホアンとロックをやりたいリチャード・デイビスの間でズレが生じてホアンが脱退。その後もリチャード・デイビスは一人でサイボトロン名義の活動を続けるが1995年にリリースしたアルバム「Cyber Ghetto」を最後に活動を終えている。

“Alleys of Your Mind” は、Mojoにデモテープを渡して気に入ってもらえたことで、ラジオでヘビーローテーションされ、瞬く間に有名となり約15,000部のレコードを販売。1993年に “Clear” 、1994年に “Techno City” と、サイボトロンの代表作ともなる2作を発表した。

しかし、まだこの頃はエレクトロの域を出ておらず、現在のテクノとはほど遠く、いわばテクノのプロトタイプ的な作品となっている。

1985年には電子音楽でダンス・ミュージック追求したいというホアン・アトキンスの想いとは裏腹に、ロックのバンド・サウンドにシフトしたいと願うリチャード・デイビスとで摩擦が発生たためホアン・アトキンスが脱退。

この頃からテクノはシカゴで誕生したハウス・ミュージックに影響を受け、大きく変化を遂げることになる。

1987年 – ベースラインの無い音楽

1987年、デリック・メイは Rhythm Is Rhythm(リズム・イズ・リズム) 名義で、ベースラインが入っていないキックを強調したハウス・インスパイアの作品を制作した。デトロイト・テクノ史に残る名曲 “Rhythm Is Rhythm – Strings Of Life” だ。

「Strings Of Life(ストリング・オブ・ライフ)」の名付け親であり、ハウス・ミュージックの父フランキー・ナックルズは、自身が初めてこの曲を聴いた時の感想を以下のように語っている。

爆発的だった。それは想像できないほどのパワーとエネルギーを持っていた。Mike Dunn(マイク・ダン)は“ベースラインのない音楽を人々がどのように受け入れるのか分からない”と言っていた。

※Mike Dunn=当時のアシッド・ハウスシーンでトップクラスに人気だったプロデューサー。

“just exploded. It was like something you can’t imagine, the kind of power and energy people got off that record when it was first heard. Mike Dunn says he has no idea how people can accept a record that doesn’t have a bassline.”

ベースラインを持たず、ハウスの如く一拍ごとに繰り出される重たいキックが特徴のストリング・オブ・ライフは、後のテクノシーンに大きく影響を与えた。

1988年 – 「テクノ」が提唱される

1988年にはParis Grey(パリス・グレイ)をボーカリストにフィーチャーしたケビン・サンダーソンのバンド Inner City(インナー・シティ)が “Good Life” をリリース。この楽曲は、アメリカのビルボードでダンスクラブプレイチャート1位、イギリスの週間チャートで4位、フィンランドで1位を獲得し、アンダーグラウンドを飛び越えて大ヒットを記録。ベルビルスリーの中で最も早く商業的な成功を収めることとなった。

そして同年にテクノを決定付けるコンピレーション・アルバム『Techno! (The New Dance Sound Of Detroit)』がリリースされ、イギリスのThe Face誌で自分たちの作っている音楽は「テクノ」だと説明したことをきっかけに、それまで「The House Sound Of Detroit = デトロイトのハウス・サウンド」と呼ばれていたデトロイトのハウスに似た音楽が「テクノ」として認識されるようになった。

さらにデトロイトに伝説となるクラブ Music Institute がオープン。デリック・メイやケビン・サンダーソン、Alton Miller(アルトン・ミラー)、Chez Damier(シェ・ダミエ)らがレジデンツDJを務めた。そしてデトロイトで唯一テクノを体験できる場所として人気を博し、後に「テクノの帝王」と呼ばれるようになるリッチー・ホウティンらに大きな影響を与えた。

こうしたベルビルスリーの活躍は、数年後に「デトロイトテクノ第2世代(第2波)」と呼ばれるデトロイトテクノに影響を受けたアーティストたちを生み出すことになる。同時にテクノは世界中へと広まり、ヨーロッパを中心にテクノは加速度的に派生。ヨーロッパのレイブではテクノが主流ジャンルへと変わって行き、多種多様なテクノが誕生することとなった。

以上がテクノの起源と誕生の歴史となる。

ここからはテクノシーンを発展させた重要な人物をピックアップして紹介していく。

初期のテクノシーンを牽引した偉人たち

Carl Craig(カール・クレイグ)

デトロイトテクノ第2世代の筆頭。1969年生まれデトロイト出身。高校生の頃にデリック・メイのラジオ番組を聴いてデュアルデッキカセットプレーヤーで音楽制作を始めたというカール・クレイグは、18歳の1987年にデリック・メイとケビン・サンダーソンに出会い、その才能を見出される。

1989年にデリック・メイのレーベル<Transmat(トランスマット)>から Psyche(サイケ) 名義で1stEPをリリースし、自身のレーベル<Retroactive(レトロアクティブ)>を設立。

1991年に新たなレーベル<Planet E(プラネットE)>を設立。69名義やPaperclip People(ペイパークリップ・ピープル)名義で数多くの作品をリリースした。

1992年にはウィリアム・バロウズ著『The Naked Lunch(裸のランチ)』にインスパイアされて命名した不定形テクノジャズユニット Innerzone Orchestra(インナーゾーン・オーケストラ) を結成し、テクノにジャズを混ぜたサウンドの “Bug in the Bass Bin” を発表。

“Bug in the Bass Bin” は、当時イギリスの人気DJであったグルーヴライダーやファビオが、Bug in the Bass Binを高速回転でプレイし、それがドラムンベースが誕生した1つのキッカケとも言われており、当時のUKでは多くの人がこのトラックをドラムンベースの聖歌的存在だと認識していた。

Underground Resistance(アンダーグラウンド・レジスタンス)

URは、Members Of The House(メンバー・オブ・ザ・ハウス) というハウスのユニットを前身とし、1989年にマッド・マイク、ジェフ・ミルズ、ロバート・フッドの3人が立ち上げたレーベルでありアーティスト集団である。ピーク時には20人以上が在籍する組織となり、Galaxy 2 Galaxy、Suburban Knight、Drexciya、Los Hermanos、など、多くの人気ユニットを輩出した。

1991年にデトロイト・テクノの金字塔となるEP “Nation 2 Nation” をリリースし、確固たる地位を確立したが、翌年1992年にジェフミルズとロバートフッドが新たなテクノレーベルを設立するため脱退。

1993年に GALAXY 2 GALAXY(ギャラクシー・ツー・ギャラクシー) という名義でテクノ史に残る名盤『HI-TECH JAZZ』をリリース。UR作品の中で最も人気のEPとなる。

1999年にはURのメンバー DJ Rolando(DJローランド) が The Aztec Mystic(アズテック・ミスティック) 名義で放った “Knights of the Jaguar” が世界的なヒットを記録するが、2000年にドイツのSonyが無許可でカヴァー楽曲をリリースする事件が発生。これに対してURは抗議の意味を含めたリミックス盤となる “The Revenge Of The Jaguar” をリリース。ベルビルスリーや他のアーティストらのサポートもあり、SonyはURに謝罪し、カヴァーバージョンは販売差し止めすることとなった。

Jeff Mills(ジェフ・ミルズ)

デトロイトテクノ第2世代。無機質でヘヴィーなハード・ミニマル・テクノを開拓したパイオニア。

1963年生まれデトロイト出身。ロバート・フッドと共にミニマル・テクノの創始者として知られるジェフ・ミルズは、1981年にマッケンジー高校を卒業し、20歳になった1983年頃からThe Wizard(ザ・ウィザード)名義でデトロイトのFM局WJLBなどでDJ活動を開始。

ヒップホップ、ファンク、ディスコ、ニューウェーブ、ロック、ハウス、テクノなどの様々なレコードをビートジャグリングやスクラッチを交えた驚愕のスピードで次々とMixするスタイルは、デトロイトの音楽好きの間で話題となった。

その影響力は後に続くデトロイトテクノ第3世代はもちろん、ラッパーのEminem(エミネム)やロックミュージシャンの Kid Rock(キッド・ロック)といった数多くの人物にまで影響を及ぼし、その人気ぶりはデトロイトに偽物が続出してデトロイト市が「ザ・ウィザード」の名前に規制をかけるほど。

80年代半ばに知り合いのツテでマッド・マイクと出会い意気投合し、1989年にマッド・マイク、ロバート・フッドと共にURを結成。1992年に脱退し、ロバート・フッドと共にニューヨークへ移り住む。同年にテクノレーベル<Axis>を設立し、ハード路線のミニマルテクノを開拓。その後、テクノプロデューサーはもちろん、売れっ子DJとして世界を飛び回った。

心理学者と共にテクノを制作したり、3台のターンテーブルと1台のCDJを使用し高速でMixするという人間離れしたDJ技術から「宇宙人」と呼ばれることもある。

Mad Mike(マッド・マイク)

デトロイトテクノ第2世代(第2波)。伝説のグループURのリーダーで、数々のヒット曲および人気ユニットを輩出した人物。

本名 Michael A. Banks 、1951年生まれ。Mike Banks(マイク・バンクス)の名でも知られる Mad Mike(マッド・マイク)は、元スタジオミュージシャンで、ファンクの大御所ジョージ・クリントン率いるバンド Funkadelic(ファンカデリック)にも参加するほどの腕前だったが、アシッド・ハウスやシカゴハウスに衝撃を受けてクラブ・ミュージックへの道へ進むことになる。

1987年にハウス・グループの Members Of The House を結成し、1989年にジェフ・ミルズ、ロバート・フッドと共にURを設立。

1992年にミルズとフッドが脱退したあとは、「ジャズ、ファンク、ブルースをテクノ化する」として、1998年に High-Tech Funk(ハイテック・ファンク)と定義した初のフルアルバム「Interstellar Fugitives(惑星間の逃亡者)」、2004年にURの Chuck Gibson こと Perception と共に “Windchime” を発表したりと、数々の名曲をプロデュースした。

Robert Hood(ロバート・フッド)

デトロイトテクノ第2世代(第2波)。曲の展開と音数を最小限に抑えたディープ・ミニマル・テクノを開拓したパイオニア。

1965年生まれデトロイト出身。ジェフ・ミルズと共にミニマル・テクノの創設者として知られるロバート・フッドは、URが設立される前にマッド・マイクのハウスユニット Members of the House で『Keep Believin』のカバーアートをデザインするデザイナーでもあった。

1991年にテクノレーベル<Hardwax>を設立。Claude Young(クロウド・ヤング)とのユニット Missing Channel(ミッシング・チャンネル)でEP『Onslaught』をリリース。

1992年にURを脱退。ジェフ・ミルズと共にデトロイトを離れニューヨークへ移り住み、ジェフ・ミルズとのユニット H&M や X-103 で<Axis>から作品を発表。

1994年に自身が設立したミニマルテクノレーベル<M-Plant>を設立し、EP『Internal Empire』をリリース。同年にジェフ・ミルズの<Axis>からミニマルテクノを定義するEP『Minimal Nation』を発表。ディープ路線のミニマルテクノを開拓した。

Kenny Larkin(ケニー・ラーキン)

デトロイト第3世代(第3波)。1968年生まれデトロイト出身。80年代後半まで軍隊に所属していた。帰国後にデトロイトテクノやシカゴハウスに影響を受け、1990年にリッチー・ホウティンと John Acquaviva(ジョン・アクアヴィヴァ) のレーベル<Plus 8>から1stEP “We Shall Overcome” をリリース。

1992年にデリック・メイのレーベル<Transmat>から、1994年にベルギーの名門<R&S Records>とイギリスの名門<Warp Records>から作品をリリースし、イギリス、ドイツといったヨーロッパでも成功を収める。

Claude Young(クロウド・ヤング)

デトロイト第3世代(第3波)。ラジオ局「WJLB」の共同創設者の1人でDJでもあった父親を持つクロード・ヤングは、90年代初頭にジェフ・ミルズのラジオを手伝った後、David Whitesideと共にレーベル<Dow Records>を設立し “One Complete Revolution EP” でデビュー。

翌年94年にDow Recordsのサブレーベルとなる<Utensil Records>を単独で設立。

1996年にドイツのレーベル<Studio !K7>の人気ミックスシリーズ『DJ Kicks』を担当。各トラックを2枚用意し、スクラッチやクイックカットなどを使用したヒップホップスタイルでテクノをミックス。ジェフ・ミルズ以来のエキサイティングなDJとして名を馳せた。

現在は奥さんが日本に在住していたことから日本に移り住んでいる。

Richie Hawtin(リッチー・ホウティン)

1970年生まれイギリス出身。盟友John Acquaviva(ジョン・アクアヴィヴァ)と設立したレーベル<Plus 8>からいくつかのアシッドハウスをリリースした後、ミニマルテクノ路線へ転向。狂気的なまでに研ぎ澄ませた芸術的ミニマル・テクノ作品で「テクノの帝王」と呼ばれるようになった。

また、「DJの際にピッチを合わせる時間がもったいない」として、デジタルDJをいち早く推し進めた人物で、立体的にテクノを楽しめるよう5.1チャンネル・スピーカーの1つ1つに音を分配したり、パソコンの音源をターンテーブルで操作できる機械の開発に携わったりと、DJ業界にも数々の革命を起こした。

Basic Channel(ベーシック・チャンネル)

ミニマルテクノにダブを融合させた「ダブテクノ」「ミニマルダブ」「アンビエントダブ」といったジャンルを開拓し、テクノシーンに旋風を巻き起こしたデュオユニット&レーベル。

1993年にドイツ人のMoritz von Oswald(モーリッツ・フォン・オズワルド)Mark Ernestus(マーク・アーネストス)によって結成。

1996年に立ち上げたプロジェクト Rhythm&Sound(リズム・アンド・サウンド) では、よりジャマイカを感じられる蒸し暑くスモーキーなダブを取り入れたミニマル・ダブ・サウンドでクラブ空間に新たなサウンドスケープを齎した。

【番外編】デトロイトの歴史

デトロイトは、1969年に設立されたアフリカ系アメリカ人が所有する独立系レコードレーベル<Motown Records(モータウン)>発祥の地として知られている。

1701年 – デトロイト誕生

デトロイトは1701年にフランス貴族で探検家のAntoine Laumet de La Mothe, sieur de Cadillac(アントワーヌ・ロメ・ドゥ・ラ・モト・スィゥール・ドゥ・カディヤック)が中心となって開拓された。ちなみにアメリカの高級車「キャデラック」はこの人の名前から付けられている。

「デトロイト」という名称は、フランス語で「水道」を意味する「ル・デトロワ(le Détroit)」に由来し、セントクレア湖とエリー湖をデトロイト川が結んでいる同地の地形から名付けられた。

1899年 – 自動車産業の始まりと発展

元々、馬車や自転車製造が盛んだったデトロイトは、1899年に自動車産業へとシフト。産業が軌道に乗るにつれ、アメリカ南部から数多くのアフリカ系アメリカ人が労働者として移住。この頃からデトロイトは黒人が多い街となった。

1903年にはアメリカで最も繁栄するモーターシティへと発展したが、デトロイトの労働者たちは低賃金で働かされる上に、住む場所も限定されていたので、スラム街での生活を余儀なくされていた。

1948年 – 白人がいなくなる

1948年にはアフリカ系アメリカ人労働者の住む場所を限定することが違憲とされたことを発端に、デトロイトの労働者たちは自由な場所に住めるようになった。しかし、これを嫌った白人住民たちは郊外へ移り出す「ホワイト・フライト」が発生。白人が激減したことで人口の多くをアフリカ系アメリカ人が占める結果となった。

「ホワイト・フライト」によってデトロイトから離れる自動車産業も相次ぐ。それが原因で1948年から20年の間に13万人の雇用を失い、貧困が酷くなり、犯罪都市のラベルを貼られてしまう。

1969年 – Motown Recordsの誕生

そんな苦境の真っ只中の1969年、アフリカ系アメリカ人が所有するインディーズレコードレーベル<Motown Records(モータウン)>が設立される。ポップ・チャートでも大成功をおさめるほどになり、貧困は続きながらも「音楽の街」へと生まれ変わった。

そして1978年、3人の音楽好きがベルビルで運命的な出会いを果たす…

あとがき

いかがでしたでしょうか。こうしてテクノに魅せられた世界中のプロデューサーたちの偉大な活動によってテクノ・ミュージックは形作られました。2000年を超える頃には、よりスペイシー(宇宙的)なネオ・デトロイトテクノなるものも登場しましたが、それは早々に廃れ、デトロイト・テクノは遂に旧時代のものとなりサブ・ジャンルとなりました。

テクノを経験したことのない人は、ぜひクラブへ行って、音楽が紡ぐ極上のサウンドスケープを体感して欲しいです。初めはどう楽しめば良いか分からなかったり、踊っている人を見てダサいと思ったりするかも知れないですけど、お酒を飲んで恥を捨てて、音の波に身を委ねてみてください。

テクノは知的で芸術的で、音と一体になることができるアトラクションみたいな音楽です。それを知ってしまったら、もう普通の音楽では満足しない体になるでしょう。

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